続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

ひっそりと、こっそりと

カチャ(ドアノブを回す)

スィー(ドアを押して部屋に)

おおー!

散らかったまま

時が止まったまま

置き去りにされた私の心の部屋

ここにまた

ひっそりと、こっそりと帰ってまいりました……

 

・・・・・・・

3年半もの前の話になりますが……。

2017年6月2日にコメントを下さった けめさん。

ずっとここから遠ざかっていたので、ほんの数時間前に初めて承認待ちのコメントを知りました。本当にごめんなさい。はてなIDの方ではないので連絡の取りようもなく申し訳ない思いでいっぱいです。

コメントありがとうございました。嬉しかったです。3年半も放置してごめんなさい。

 

 

 

 

 

ふー、星になる

思えば春先の沈丁花の香りも、全く気づかずに。

そして桜が散る今日、ふーが逝ってからひと月過ぎたんだなあという感慨をもって、重い筆ならぬ重いPCを開けて(最近スマホばかりだったので)書いています。

ふーは虹の橋を渡り星になりました。
3月14日。朝6時半くらい。
初夏には18歳になるところでした。

低血糖で亡くなるのを恐れて、そればかり気にかけていたものの、
最期はどちらかというと、排泄のケアがうまくいっていなかったことが命を縮めたんじゃないかなという後悔があります。1ヶ月くらい壮絶でした。

ふーはもともと人の布団に入ってくるようなコではなかったので、
最後の夜は私の布団の横に敷物を敷いて寝かせて、手を握って過ごしました。

突然しんでしまったナルに比べて、ふーは闘病が長かったぶん覚悟はできていたというのに、
こうやって書いてるだけでまた涙がでてくるのは、逝って欲しくない気持ちと、介護疲れからくる気持ちがごちゃ混ぜになって、申し訳なさが他の猫達を見送ったときより大きいから。

ふーは最期まで本当によく頑張りました。生きることに真摯な猫でした。

ふーが亡くなって数日後、夢に出てきた姿は、病気になる前の若い頃のつやのいい白黒柄の綺麗な目をしたふーでした。それが私の願望から夢につながったとしても、ふーからの贈り物です。

コレを書きながら鼻水をたらしているけれど、普段は平常運転になっているので、ご心配なく。

1月も半ばですが

すっかりここから遠ざかっていました。

もはや新年の挨拶の言葉が浮いてしまうような時期になってしまいましたが、
今年もよろしくお願いします。

さて、私の仕事の件ですが、
今も働いています。

なぜか年末あたりに突然更新制の話がなくなり、
更新をせずに働くことが出来るようになりました。

まだ若干シャチョーの心の中は揺れているんじゃないかな…?と推測しつつ、
いかんせん人の心の中は、本当のところわからないので、これ以上考えても無駄なんだと思います。


私はやはりシャチョーの言葉や態度に内心ビクビクする癖はなくなっていなく、感情を悟られないよう、能面顔になってしまいます。

ほかの人のように、ざっくばらんに話すには、そうとう時間がかかるかあるいは永遠にこないかもしれません。

というのも、人の心はわかりませんといいつつも、どうもシャチョーはチヤホヤされたい、褒められたい、ヨイショされたいという願望が強い人のようなので、「シャチョォー、シャチョォー」と懐にはいる心積もりでこちらから頼り歩み寄れば、もしかしたらこの緊張感を払拭できる可能性はあるかも…です。

しかし、私はもともとそういうのが苦手で、しかもまだ精神的に余裕がなく冗談もいえない状態なので無理。さらに、かまってちゃんには構いたくないという反発心が少なからずあるので、永遠に平行線なかみ合わない人間関係なんだろうなあ、と腹をくくりました。


今年は、今の仕事を継続しつつ、単発のバイトができるようになりたい。
週に5日働ける体力が欲しいので(今のところ週3でも帰宅後動けず寝っぱなし日が必ずある)
少しずつ仕事を増やしていきたいです。


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猫達は皆、それぞれの体調なりに元気に新しい年をむかえました。

風太は糖尿病を発症して今年で9年目。だいぶ背中ゴリゴリのおじいさん猫になりトイレの失敗も増えたけれど、頑張って自力で猫生を歩んでいます。

ゆうは、悪性リンパ種で手術してから2月で丸2年になり、言葉が話せればあちらこちらの苦痛を訴えるのではないかと案じつつも、普通にご飯を食べ、ウン○をし、日向ぼっこをし、ときにワガママ猫を発揮したりして、ほかの猫より寝ている時間は多いけど、手術前と変わらない普通の生活をしています。

これは、カミサマにも猫達にも感謝感謝の何よりも素晴らしい日々ではないでしょうか。
私の苦しみなど、この子たちの背負っているものに比べれば、たいしたことない。
猫達からもらっている形のない贈り物は、私の人生の宝だなあ。

猫達のためには、私はもっとしっかりしなくては。

私は生きたいのか

診察日であった。

先生「『かかりつけ医』って決めていますか?」
ワタシ「いえ。ここしかないです(もはや精神科がかかりつけ医)」
先生「そうかー。じゃ、なんの検査もやってない?」
ワタシ「はい」
先生「うーん。やっておいた方がいいよー。区のお知らせとかでもあるでしょ。健康診断」
ワタシ「はい封書で届いています。いやー悪いところが見つかると困るんで」
先生「なんで。治せるものは治さないと」
ワタシ「……」
先生「長生きしたくない?」
ワタシ「はいっ(きっぱり)」

そこで話は終わった。 

まさか「長生きがリスクな人生なんで」とか言わないし、ましてや「本来は薬を長期投与しているのなら、ここで血液検査くらいしたほうがいいんじゃないですか?最初で最後にここで血液検査したの20年くらい前ですよね。あの時は普段いない看護師さんがやってくれたけど、先生、もしや注射できないんですか?」と喧嘩を売ったわけではないし。きしねんりょがあると思うほど深刻には話してないから、危険ともとられないだろう。

ただ、ただ、
それから、気分がすぐれないのだ。
なんだか泣きたくなる。
大泣きはしなくとも、涙目で鼻がツンとする。

私は神様(ただし無宗教)がthe endと判定するまで、ボロボロのグダグダでも生きていようとは思っている。でもこの先、私はきっと社会のお荷物になる。

私は、生きたくないのか
本当は生きたいのか
しんでるように生きているのはつらい
しんでいるように生きなければ、
生きてるように生きることができるのか

どうなるのかな

9月に、ついに一度、貧血をおこして早退しました。

あーあ。やってしまった。
これはちょうど最後の正社員の頃から始まった13年来の不調です。
下痢+貧血+頭痛+気持悪さが一番キツイ状態で、
その時によって下痢+頭痛や下痢+貧血のセットだったり。

私はほとんど立ったまま作業をするのに、
トイレから戻った後、貧血でとても立ってられなかった。
30分くらいしたら回復すると思ったけど、
うながされるまま家に戻ってきてしまいました。
無遅刻無早退無欠勤、終わりました。よよよー。

相変わらず、シャチョーとはうまくいっていません。
先日(10月某日)、事務所の入り口で話をし、
終わったので扉を閉めたとたん、
多分ですが、おそらくですが、物を壁に投げつけるような激しい音がしました。

以前は、ワタシが背を向けたとたん、
実際には叩かなくとも叩こうとする仕草をしているのを
気づいてない振りをしても見逃しませんでした。

いつも私が悪いんです。
へんにおどおどビクビクしたり、視線が合わせられなかったり、
どっちつかずな態度をとってイライラさせてしまう。

これって中学の時の部活と同じだなあ。
成長していない。
先輩から目をつけられてしまい、「あの子ムカつく」カテゴリーの後輩として
認定されてしまうと、緊張からなぜか先輩が激高するような仕草や、言い間違いや、
沢山の失敗を今まで以上にしてしまうようになり、抜け出せないどつぼループ。
今、シャチョーと同じことになっています。

自分で言うのも何ですが、
心を激しく消耗したものの、接客業のクレーム処理はわりとコツを覚えて、
客の怒り爆発暴言の嵐でも自分を保つバランスみたいなものを会得したと思っているのですが、
こういう、中学の先輩やシャチョーみたいな「アンタキライヤメテホシイ」を滲ませる相手には
自分を保つどころか、台風に吹かれてぐるんぐるん回っている忘れられた洗濯物みたいになってしまう。人間修行が足りませんな。

しかも。しかも。
結局いままで会社の人間関係でギクシャクしてしまうのは、
「ワタシ嫌われてますよね」っていう感情に振り回されてるから。
だいたい万人に受ける人間ではないし、職場において誰が誰をイヤだと思おうが自由であるし、自分だって好き嫌いが激しいし、考えても仕方のないことなのに。
これは、今回私が生まれてきたときに与えられた課題なのかもしれないな。


なんだかいろいろとごめんなさい。
と、
出会った全ての人に謝ってしまいたい気分。

更新(ブログのことではなく)

また間が空いてしまいましたが、
なんとか働いています。

自己都合による欠勤、ゼロ。
       遅刻、ゼロ。
       早退、ゼロ。

そこだけ、死守しました。
勤務中こっそり薬を飲んだり飴をなめたりは、ひんぱん。我慢して具合悪くなってしまうよりマシ。何度か立ちくらみや気分の悪さでしゃがみこんでも、仕事は中断なし。

作業もミスは相変わらずあってもだいぶ慣れて、客観的にも速くなったはず。


だけど、相変わらずシャチョーとはうまくいってません。
緊張してしまうというか、いまだ目を見て話すのがつらいです(全般的に誰にでもそうなんだけど、特に)。

そこがシャチョーをイラつかせ腹立たせる要因なのはわかるのに、できない。

どこかで、気を抜いて接している時に聞くシャチョーの発する言葉が怖いのかもしれない。



7月のうちに、次の6ヶ月の更新をしました。
今回は更新できました。
ただ、今回も
「あなただけ」「今回も6ヶ月の更新で」
「もし、この仕事向いてないんじゃ……、って時は、こう、ね(と切ることを連想する動き)」
という、お言葉つきでした。

私は深く頭をさげ「ありがとうございます」しか、言えない。
私より数週間後から採用された人に「私はこう言われたけど、あなたはどう?」と、聞けない。

その人から「え?私は更新制じゃないですよ」と言われたら、ああやっぱり私を切るための手段なんだと再確認するだけで、誰にも言わないという(なぜ誰にも言ってはいけないのだろうという疑問はおいといて)約束をやぶることになるし、聞いて落ち込むだけなのでイイコトナシ。
また反対に、「あー私もそうですよ」と言われたら、シャチョーの言葉に試されてる感じ(永遠に試用期間?)にますます苦手感が強まりそうで無駄だから。単に自分のプライドが邪魔してるだけなんだけどね。

もしかしたら、私なりの職場や仕事への誠意(!)の無遅刻無欠勤が、あだになっているのかもしれないと、これはもはや喜劇なのではと思ったり。なぜなら、今日も明日も具合悪くてワタシコレナイデスってなれば、「あー仕方ないね、まだ無理だよね」と退社へと促せるのに、なぜか頑なに定時にやってくる私。辞めさせたいのに辞めさせられないジレンマで苦悩するシャチョー。


更新更新ってこだわるなぁ。今の契約社員だって更新制で解雇ですよ、と思われる方もいられると思います。

ただ会社都合で合法的に解雇できる手段が更新制というのは、かつての自分の職場であった事例でしみじみとわかるのです。

かつて働いていた会社の本店で、実に困ったパートさんがいまして。その人次第で後からきた社員もパートもまず続かない。続くのはその派閥一派に合う人であり、集団でだんだん態度が尊大になってきた。会社側は辞めさせたいけれど、辞めさせられない。無理に辞めさせたら、何をしだすかわからないようなお人でした。「おとなしく辞めるかな?」「いや、無理無理」みたいな会話をして、手をこまねいていた。そんな時、上司が同じ子会社の販売職から仕入れてきた情報が、更新制でした。

ちょうど私がその会社を辞めた年にその制度が実行されたことが、当時も働いていた人から聞きました。一網打尽とはいかず(全員辞めさせて新人ばかりだとそれも大変)2年くらいかけてその一派を一掃したみたいです。


そんな豆知識があるから、無駄に疑心暗鬼になってしまったかもしれない。そう思うこともあります。
もっと無心に無邪気に働いていたら、もうちょっと違う流れになっていたかも。そう思うこともあります。
でも、面接のときから今までのシャチョーの言葉のチョイスは本心からくるものに思えるので、それを勢いで自分の流れにかえるのは、今の私には難しかった。無駄に溺れてあがいてこじれて消耗している感じが自分でもわかっていて、まだまだだなあ、と夜更けのこの時間にブログの更新したりしてるのです。ああ。


無遅刻無欠勤とえらそうに書いてるけど、週2~3回勤務の話であり、繁忙期でも週4でした(会社指定の回数)。休みの日は1日中起きていられず布団の中ということもしばしば、今までと変わらない生活っぷりが持続しているのです。いくらでもかつてのひきこもりに戻る可能性大の瀬戸際なのが、悲しいです。週5、6でも全然OKなくらいの体力と精神力ができるのはいつなんだろうか。

高齢ひきこもり独女、12年ぶりに働き始める 3…そして今も働いています

もう4月も半ば。葉桜になり、GWが近づいている。
なんとかかんとか、今も働いています。
3ヶ月を過ぎたところ。

正直なところ、とても悩んだ。
前回の話で、更新の話が出た日はちょうど誰も家にいない日だったので、おーいおーいと号泣した。こんなに吐き出すように泣いたのは、20年近く前の自動車教習所で、まわりはどんどん次に進むのに自分だけ1段階でとんでもない回数(日付を書くのに余白だけでは足らず紙を貼って記入するほど)乗っても、さっぱり上達しなかった時以来だなと思い出した。

しかも、もっと「仕事に徹する」というか、職業スマイル(ってヘンだけど接客業に必須なあれ)で押し通せるほど、私はまだコミュニケーションがうまくとれない。正直、まだしっかり相手の目を見て話すことが苦手だ。好感をもっている人たちにさえそうなのだから、苦手意識をもったら尚更で、社長とは非常にギクシャクした空気が流れるようになってしまった。緊張してしまうのか、社長がいるとヘマばかりしてしまう。

たぶん、ひきこもり前の私だったら、相手の「嫌い嫌い」の気配を感じ取って、辞めることをすぐに考えただろう。

でもここで同じ行動を起こしたら、また同じことの繰り返しになってしまう。

正直なところ、私に好感を持っている人100%の職場などありえない。今までもなかったし、これからもない(断言)。第一私をどう思おうがそれは人の勝手であり、自由なんである。私だって、かなり人の好き嫌いが激しいたちだ。何もいえないはず。

究極の選択。
上司に嫌われるか。同僚に嫌われるか。
かつて、実力以上に上司にかわれてしまい、何ごとも良いほうにとってもらえる職場があった。そのぶん、一緒に働いている人たちからは、まるで一昔前(いやふた昔以上?)の少女マンガのように、黒目がなくなった白い目(わかりにくかったら『ガラスの仮面』をぜひ)の集団の冷たい視線で、「◎◎さん(私)は可愛がられているから」「◎◎さんはお気に入りだし」などとちくちくといわれる居心地の悪さは、たまらない。

社長(上司)に嫌われてしまうと、在職自体があやういことになるけれど、同僚とのトラブルがあるよりはるかに働きやすいのではないか。

私は今の職場の皆さんが好きだ。あんまり目を見れないけれど(ごめんなさい)、本当はそう思っている。そして、この仕事自体はじめての職種でとまどうことがあっても、面白いと思っている。

だから、もう夏にはいられないかもしれないけれど、そこまでは頑張るつもりです。生活もかかっているけど、人生もかかっている。社長には申し訳ないけれど、ひきこもりから抜け出すには、ここで精一杯働く勢いをつけさせてもらいます。

流れにまかせよう。クビになったら、それを受け入れよう。そう考えたら随分気が楽になりました。だってねーハイリスク人材だもの、私。そんな人間雇っちゃった社長は悲劇を通り越してコメディの主人公みたいだ。新年早々あちゃーってところだったんだろうなぁ。来年は初詣は念入りに、かしこみかしこみお祓いをしてもらうのかもしれない。

まだ体力、精神力ともにヨロヨロだけど、少し強くなった…というか図太くなった…というか、要は本格的おばさんになったんだな。

あと数日で50歳。
ちゃくちゃくとBABA化は進んでいるようです。