続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

強い、弱い、ズルイ

街頭占い師の姓名判断の張り紙を見ると、私の画数は「女にしては強すぎる」と書かれている。

生年月日判断で「女にしては強すぎる」。

「女にしては」とは???

と、釈然としない気持ちになることが2度ほどあったけど、実際私はとても強いのだと思う。

クヨクヨうじうじするけど、最終的には強いのだ。

弱いのは自律神経の調整力くらいなのだろう。

実際、どんなに強くても、病の症状に負けてしまう時もある。

全てにおいて強い人なんていないのだ。誰だって弱いところと強いところが区画整理されてない住宅地のように入り組んでいるのだろう。

 

ただ、自分自身が心の中で「うむ、なんだか知らぬがワタシは金太郎並みに強いかもしれないぞ」と勝手に思うのは、お好きにどうぞと言うしかない。

 

しかし、どうだろう。励ますシーンでもない状況の時に、他人が人に向かって「あなたは強い人」と言う時、言外に「弱いふりして実は強いよね」「私とは違う」「ズルい」という批判的なメッセージが含まれているように思うのは考えすぎか。特に話の前後で褒めてるわけでも、ふざけたやり取りをしているわけでもなく、好意を全く感じない場合。深読みしすぎ?

女性対女性の話です。私にあった実話です。

 

これってジェンダーの話に繋がるのか。どんどん変容してゆく意識改革があるにしても、まだまだ女(の子)は「か弱い方が最強」という意識はまだまだ健在であるから。「弱いふりしてホントは強いのに。ズルイ」と。強さに良き美点としておもきを置くより、弱そうにしているのが許せない、と。

 

でもまあこういうことを言う人は、こちらから見たら全ての言動において、抜け目なくしたたかなのが面白い。「したたか」は「強か」と書く。わはは。

 

相手の嫌なところは必ず自分自身のなかにも宿ってる。

 

「酒に強い」とか「火を吹くような辛いのに強い」とかお互いが認めていてかつ湿度のない笑いに持っていけるような強さだけ話題にしようと思う。