続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

みずみず

私に足りないものって、『瑞々しさ』じゃない?

気づいてしまった。


つれづれに過去を振り返っても、己の瑞々しさを思いだせない。こうやって書く文章も、瑞々しさとはほど遠い。もちろん見た目も。


肌も心もコラーゲン不足のような状態。ようするに弾力性と水分と若々しさが足りないんでしょうね。生き生きしているとか無縁。かといって、枯山水のようなわびさびもないし。これも日々の怠りなのか、生まれつきなのか。


そんなことを考えていたら、あの時の不快感を思い出す。かつて2、30代の頃の話。4、50代の主婦パートさんたちが自分の(過去の)恋愛話や、娘や息子のカレシカノジョの話をしているうちに、だんだん目の焦点が定まらなくなって、自分と娘を一体化して考えてるなーと感じるときがあった。「(娘の)カレがね…」と話すときの、発音に甘ったるさが入る感じ。


あの空気のなかに含まれた澱んだとろみのある水分の、その底部に沈殿する滓を感じて、「つ、冷たい水をください…」と息も絶え絶えになりそうなときを思い出し、そうか、私もあの時のパートさんと同じ年頃になったのだと愕然とする。


やっぱり加齢も原因なのかな。でも、すべてを加齢のせいにしちゃいけないよね。老化の進み具合は個人差もあるけど、自己管理もあるから。



しなびる一方の諸々を抱えて、どうすりゃいいんだと途方に暮れて見上げる梅雨空。もう私カビそうです。瑞々しいほどは水分ないのに、どうして?


やはりいつ何時も「あー生きることの素晴らしさ〜♪」、「生きてるってステキ〜ルルルゥ♪」みたいな感受性を持っていないからかも。ああ、すでにカビが内部までキテルかもよー。