続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

平板な感情

今年4月18日に、猫のひかりは亡くなりました。

最後まで本当に頑張りました。

そして食いしん坊というのは、生きることにも諦めない…食べることは生きることだっていうことを改めて感じさせてくれました。

人のそばが好き、真ん中が好き。そんな子だったから居なくなった不在がこたえます。

 

 

去年のゆうが亡くなった時、一回だけ泣いた。だけどひかりの時はついに一度も涙が出なかった。

悲しくない訳ではない。猫が亡くなると隙あらば思い出し涙で視界が曇るような人生を送ってきたのに、もう涙が出ない。やはり深刻なドライアイになってしまったか。いや、「悲しくない訳ではない」と書いたものの、気持ちがずんと落ちてゆくのは感じるけど、最近「悲しいってなんだろう」と思うようにもなってきた。わからなくなってきたように思ったりする。

 

これは長年の投薬の影響なのか。それとも心がまた壊れてきて、強烈なバイアスが心を守っているのか。わからない。それとも老化?

辛い感情も以前より鈍くなっているのと同時に、楽しい嬉しいという感情もじんわり感じる程度で、どうも平板化している。そのうち感情がなくなるのだろうか。

 

 

父は去年の話で今年の正月が迎えられるかどうかは「そういうこともある」と医者に言われていたが無事正月も迎え現在に至るが、先日のステント交換の手術の後、「何かまた違う癌や疾患が出てこなければ今年の年末くらいまで大丈夫」という話だったらしい。そうなの、と私は母の話をボンヤリ聞いていたけど、それって余命半年?今五月の終わりだから六ヶ月後。またそんなこと言ってその後一年位大丈夫なんじゃない?と実感ない。これも平板化?ただ父に関心がないだけかもしれない。