続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

もやもや

なぜ急に失った(あるいはザンネンなことに最初からなかった)『瑞々しさ』を考えているのか、なんとなくわかった。

  • 今読んでいる武田百合子富士日記』。私が生まれる前年あたりからの日記なので、ゆうに45年以上前に書かれたものなのに、瑞々しさを失っていないのだ。いい本は老化しない。
  • やはり若い子の肌のハリや、無意識に発するエナジー。
  • 久々に植物を数種類育てていて、その生命力やまさに瑞々しさを毎日目の当たりにしていること。
  • 自分は「生き生きしていない」→「瑞々しくない」という自覚。
  • 今後、年を取ることについて。受け入れたい気持ちと、流されてゆくだけでは身も心も枯れ木のようになる焦り(そういう人物がゴロゴロいること)。でも、妙に意識すると若い子の可愛くないのに「カワイコぶりっこ(死語?)」に対抗するような、「瑞々しさブリッコ」ばあさんという鬱陶しくもわざとらしい人物になる恐れがあること。
  • リアル瑞々しさを得るのはいかに難しいか痛感する。