もやもや
なぜ急に失った(あるいはザンネンなことに最初からなかった)『瑞々しさ』を考えているのか、なんとなくわかった。
- 先日の情熱大陸の伊集院静の話。
- やはり若い子の肌のハリや、無意識に発するエナジー。
- 久々に植物を数種類育てていて、その生命力やまさに瑞々しさを毎日目の当たりにしていること。
- 自分は「生き生きしていない」→「瑞々しくない」という自覚。
- 今後、年を取ることについて。受け入れたい気持ちと、流されてゆくだけでは身も心も枯れ木のようになる焦り(そういう人物がゴロゴロいること)。でも、妙に意識すると若い子の可愛くないのに「カワイコぶりっこ(死語?)」に対抗するような、「瑞々しさブリッコ」ばあさんという鬱陶しくもわざとらしい人物になる恐れがあること。
- リアル瑞々しさを得るのはいかに難しいか痛感する。