続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

シズコさん

シズコさん (新潮文庫)

シズコさん (新潮文庫)

単行本が新聞広告にされていたときから「読んでみたい」と思いつつ、読む機会をのがしていた本。文庫本になっていて、慌てて購入。


どんな仲が良さそうな母娘でも、その母娘の歴史があり、愛憎がある。


ましてや4歳から母の手を握ったことも身体に触ったこともない(それには理由があるのだけど)娘と、やはり一筋縄ではいかなそうな母の物語は、奥深い。反目しあいつつも不器用なところは似た者同士の母娘だからお互い強い強い。


認知症になった母とその娘の物語は、思い出と現実を交差して流れてゆく。


今までの沢山の憎しみも悲しみもすべてひっくるめ、認知症の母という状態もすべて受け止め、(簡単に愛なんていってはいけないのかなと思いつつも、他に思いつかないので)愛と言う名の風呂敷で一切合財包み込んで、大事に胸に抱え込むような境地になったとき、人は何かを知るのかなと思った。それはもっと大きな愛(また調度いい言葉がみつからない)?相手は認知症なので「分かり合えた」でも違うし。でもそれは喜びに満ちている感覚なのは、わかる。悲しいけれど。

「ごめんね、母さん、ごめんね」
号泣と云ってもよかった。
「私悪い子だったね、ごめんね」
母さんは、正気に戻ったのだろうか。
「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ」
私の中で、何か爆発した。「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」
何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった。湯気がはてしなく湧いてゆく様だった。

                 「シズコさん」佐野洋子 より引用

重い空気になりがちな題材でも、佐野洋子のカラッとした歯切れのよい文体で、ジメジメとしたところがない。でもそれが、かえって人間の哀しさが伝わってくる。

私と母も、最後には本当の意味で分かり合い、ゆるしあえるだろうか。

ところで、作者の佐野洋子はシズコさんを看取ってから数年後に逝去されている。別の作家の米原万里さんも、認知症の母を看取ってから数年で逝去されている。まるで神様から最後の難題を出され、それを見事クリアして天にのぼっていったように。いや、認知症の家族を介護したあと、長生きされる方のほうが多いだろうから、この例はちょっと違うかもしれない。けれど、それくらい、母と娘の関係はややこしくて哀しい。もちろん私自身も長年葛藤中。


今後も大事に手許におきたい作品。