続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

更新(ブログのことではなく)

また間が空いてしまいましたが、
なんとか働いています。

自己都合による欠勤、ゼロ。
       遅刻、ゼロ。
       早退、ゼロ。

そこだけ、死守しました。
勤務中こっそり薬を飲んだり飴をなめたりは、ひんぱん。我慢して具合悪くなってしまうよりマシ。何度か立ちくらみや気分の悪さでしゃがみこんでも、仕事は中断なし。

作業もミスは相変わらずあってもだいぶ慣れて、客観的にも速くなったはず。


だけど、相変わらずシャチョーとはうまくいってません。
緊張してしまうというか、いまだ目を見て話すのがつらいです(全般的に誰にでもそうなんだけど、特に)。

そこがシャチョーをイラつかせ腹立たせる要因なのはわかるのに、できない。

どこかで、気を抜いて接している時に聞くシャチョーの発する言葉が怖いのかもしれない。



7月のうちに、次の6ヶ月の更新をしました。
今回は更新できました。
ただ、今回も
「あなただけ」「今回も6ヶ月の更新で」
「もし、この仕事向いてないんじゃ……、って時は、こう、ね(と切ることを連想する動き)」
という、お言葉つきでした。

私は深く頭をさげ「ありがとうございます」しか、言えない。
私より数週間後から採用された人に「私はこう言われたけど、あなたはどう?」と、聞けない。

その人から「え?私は更新制じゃないですよ」と言われたら、ああやっぱり私を切るための手段なんだと再確認するだけで、誰にも言わないという(なぜ誰にも言ってはいけないのだろうという疑問はおいといて)約束をやぶることになるし、聞いて落ち込むだけなのでイイコトナシ。
また反対に、「あー私もそうですよ」と言われたら、シャチョーの言葉に試されてる感じ(永遠に試用期間?)にますます苦手感が強まりそうで無駄だから。単に自分のプライドが邪魔してるだけなんだけどね。

もしかしたら、私なりの職場や仕事への誠意(!)の無遅刻無欠勤が、あだになっているのかもしれないと、これはもはや喜劇なのではと思ったり。なぜなら、今日も明日も具合悪くてワタシコレナイデスってなれば、「あー仕方ないね、まだ無理だよね」と退社へと促せるのに、なぜか頑なに定時にやってくる私。辞めさせたいのに辞めさせられないジレンマで苦悩するシャチョー。


更新更新ってこだわるなぁ。今の契約社員だって更新制で解雇ですよ、と思われる方もいられると思います。

ただ会社都合で合法的に解雇できる手段が更新制というのは、かつての自分の職場であった事例でしみじみとわかるのです。

かつて働いていた会社の本店で、実に困ったパートさんがいまして。その人次第で後からきた社員もパートもまず続かない。続くのはその派閥一派に合う人であり、集団でだんだん態度が尊大になってきた。会社側は辞めさせたいけれど、辞めさせられない。無理に辞めさせたら、何をしだすかわからないようなお人でした。「おとなしく辞めるかな?」「いや、無理無理」みたいな会話をして、手をこまねいていた。そんな時、上司が同じ子会社の販売職から仕入れてきた情報が、更新制でした。

ちょうど私がその会社を辞めた年にその制度が実行されたことが、当時も働いていた人から聞きました。一網打尽とはいかず(全員辞めさせて新人ばかりだとそれも大変)2年くらいかけてその一派を一掃したみたいです。


そんな豆知識があるから、無駄に疑心暗鬼になってしまったかもしれない。そう思うこともあります。
もっと無心に無邪気に働いていたら、もうちょっと違う流れになっていたかも。そう思うこともあります。
でも、面接のときから今までのシャチョーの言葉のチョイスは本心からくるものに思えるので、それを勢いで自分の流れにかえるのは、今の私には難しかった。無駄に溺れてあがいてこじれて消耗している感じが自分でもわかっていて、まだまだだなあ、と夜更けのこの時間にブログの更新したりしてるのです。ああ。


無遅刻無欠勤とえらそうに書いてるけど、週2~3回勤務の話であり、繁忙期でも週4でした(会社指定の回数)。休みの日は1日中起きていられず布団の中ということもしばしば、今までと変わらない生活っぷりが持続しているのです。いくらでもかつてのひきこもりに戻る可能性大の瀬戸際なのが、悲しいです。週5、6でも全然OKなくらいの体力と精神力ができるのはいつなんだろうか。

高齢ひきこもり独女、12年ぶりに働き始める 3…そして今も働いています

もう4月も半ば。葉桜になり、GWが近づいている。
なんとかかんとか、今も働いています。
3ヶ月を過ぎたところ。

正直なところ、とても悩んだ。
前回の話で、更新の話が出た日はちょうど誰も家にいない日だったので、おーいおーいと号泣した。こんなに吐き出すように泣いたのは、20年近く前の自動車教習所で、まわりはどんどん次に進むのに自分だけ1段階でとんでもない回数(日付を書くのに余白だけでは足らず紙を貼って記入するほど)乗っても、さっぱり上達しなかった時以来だなと思い出した。

しかも、もっと「仕事に徹する」というか、職業スマイル(ってヘンだけど接客業に必須なあれ)で押し通せるほど、私はまだコミュニケーションがうまくとれない。正直、まだしっかり相手の目を見て話すことが苦手だ。好感をもっている人たちにさえそうなのだから、苦手意識をもったら尚更で、社長とは非常にギクシャクした空気が流れるようになってしまった。緊張してしまうのか、社長がいるとヘマばかりしてしまう。

たぶん、ひきこもり前の私だったら、相手の「嫌い嫌い」の気配を感じ取って、辞めることをすぐに考えただろう。

でもここで同じ行動を起こしたら、また同じことの繰り返しになってしまう。

正直なところ、私に好感を持っている人100%の職場などありえない。今までもなかったし、これからもない(断言)。第一私をどう思おうがそれは人の勝手であり、自由なんである。私だって、かなり人の好き嫌いが激しいたちだ。何もいえないはず。

究極の選択。
上司に嫌われるか。同僚に嫌われるか。
かつて、実力以上に上司にかわれてしまい、何ごとも良いほうにとってもらえる職場があった。そのぶん、一緒に働いている人たちからは、まるで一昔前(いやふた昔以上?)の少女マンガのように、黒目がなくなった白い目(わかりにくかったら『ガラスの仮面』をぜひ)の集団の冷たい視線で、「◎◎さん(私)は可愛がられているから」「◎◎さんはお気に入りだし」などとちくちくといわれる居心地の悪さは、たまらない。

社長(上司)に嫌われてしまうと、在職自体があやういことになるけれど、同僚とのトラブルがあるよりはるかに働きやすいのではないか。

私は今の職場の皆さんが好きだ。あんまり目を見れないけれど(ごめんなさい)、本当はそう思っている。そして、この仕事自体はじめての職種でとまどうことがあっても、面白いと思っている。

だから、もう夏にはいられないかもしれないけれど、そこまでは頑張るつもりです。生活もかかっているけど、人生もかかっている。社長には申し訳ないけれど、ひきこもりから抜け出すには、ここで精一杯働く勢いをつけさせてもらいます。

流れにまかせよう。クビになったら、それを受け入れよう。そう考えたら随分気が楽になりました。だってねーハイリスク人材だもの、私。そんな人間雇っちゃった社長は悲劇を通り越してコメディの主人公みたいだ。新年早々あちゃーってところだったんだろうなぁ。来年は初詣は念入りに、かしこみかしこみお祓いをしてもらうのかもしれない。

まだ体力、精神力ともにヨロヨロだけど、少し強くなった…というか図太くなった…というか、要は本格的おばさんになったんだな。

あと数日で50歳。
ちゃくちゃくとBABA化は進んでいるようです。

高齢ひきこもり独女、12年ぶりに働き始める 2…そして「うちは慈善事業じゃない」

思えば、面接の時に金銭的なことをずいぶん言われた気がする。


去年の10月に最低賃金が高くなった。


アベ政権になってから『最低賃金1000円を目指す』聞いたときは、いやー無理無理と金持ち坊ちゃんはやっぱりわかっていらっしゃらぬと思った(そして最近では主婦パート月25万設定発言)。それは働く側になれば賃金があがるのは嬉しい、けれど支払い能力のある会社ばかりじゃないじゃん、現実は一番最初に切られるのは人件費じゃん、と。それでも、着実に時給は上がってきている。私のいる県では1000円まであと100円をビミョーに切ってきている。


― 時給は最低賃金だけど、これだってホントは大変(こんなに出したくないのが本音)。健康保険・厚生年金はないけど、雇用保険と労災はいやだけどまあ仕方なくあります。残業代は時給アップしません。休日出勤もアップなし。どのみち1日に勤務時間が8時間以下の話だから、当然ね。ー


本当に本当に、従業員への支払いが惜しいというのがにじみ出ていた。


HPも求人もネット上には何もないので、この会社の何もわからないまま面接をすすめたが、唯一わかったのは、数年前民事再生法をうけていたことだ。そして、何年か後にそれが終わっている。これくらいの規模の町工場だったら、あっさりと廃業する方が多いだろうに、あえて再生法で頑張った会社だ。だから、並々の努力ではなかっただろうな、金銭的に締めてかかっているのは仕方ないことだろうな、と、すべてに「はい(了解です)」と返事した。とにかく私は家の近場で働きたいだけなのだ。


実際に働きはじめても、節約意識は高く感じられ、ダンボールを梱包するガムテやマジックは備品を使っても、シャーペンは自前以外しか使う気になれない。手は汚れるので水で洗うことはあるが、トイレは自宅まで我慢している。別にそうせよと言われたわけではないが、何となく。


話がずれてしまったようだが、これはこれからの展開に必要なので。


そして、その試用期間最後の日。経営者と面接。


働き始めて1ヶ月と10日。毎日働いているわけではないので、勤務日数は20回に満たない。


「どうですか、続けられそうですか?」
「はい。できれば続けていきたいです」

「見てるとねー、まだ、完璧ではないよね。ミスもするし遅いよね」
「はい。すみません」
「時給●●●円だよね。それで利益を得るためにはそれ以上の仕事をしないといけないよね。
 たとえば、これ、1本300円。これ3本以上できないと、時給に対し生産性が悪いよね。

うちは慈善事業しているわけじゃないから、

それじゃ困るんだよね。
見合った働きをしてもらわないと。
だから、こうしよう。半年後、まだできていないようだったら、(解雇するか)また考えるんで、
半年の更新制にしよう」
「はい。では8月○日ですね」
「まーおれ、忘れてるかもしれないけど、またその時話をしよう」
「私忘れませんから大丈夫です」
「あ、この話はみんなに内緒ね」
「わかりました」


部屋をでてから、モヤモヤでアタマの中が一杯になった。


マーブル模様の混沌状態である。


そして何より一番心に響いたのが、

慈善事業。慈善事業。慈善事業。慈善事業。


きっと人からはまたイジケテルと言われるかもしれないけれど、

―うちの工場は、メンヘラがくる作業所じゃない―。

そんな含みを感じてしまったのだ。
体面を気にする人っぽいので、自分の愛社にたいする正直な自尊心か。


その点は私の屈折した主観であるとまずおいて置こう。
しかし、
いくら社会から離れた12年を過ごした私とはいえ、
ちっぽけな常識だってすこしは残っている。


   初心者のパート社員の時給生産高でなくてはならない。


それが雇用に影響するほど世の中は変わったのか?
1ヶ月半弱で、何年も働いている従業員を上回る完璧さと量産を求められるのか。
そんならもう、新入りなんて今後とらないほうがいい、、、のではないか。
ペッパー君でも買ったらどうか(ああ初期費用と月々の使用料がかかるか)。
何といっても本気でそう考えて発言しているなら、経営なんて辞めてしまえ。


面接後に知ったことなのだが、実は経営者と同じマンションのなかで、数階挟んで上階と下階で暮らしている超ご近所さんだったのだ。だから体面上むげに面接で断ることもできずに、ビョーキ持ちでもとりあえず雇った。だけど本音としては、早く辞めて欲しい。はっきり言って気に入らないんだよ、あんたのこと。そういうことなのだろうか。そういうことなのだろう。

高齢ひきこもり独女、12年ぶりに働き始める 1…そして「うちは慈善事業じゃない」

年末から気になっていた、パート募集の張り紙。


30年この場所に住んでいて、なんの会社だかわからないけれどずっと昔からあった、という認識の会社の窓ガラスに小さく書かれた『パート募集 週3日~ 軽作業』に妙に引き込まれたのは、あまりに家から近い求人だったからだ。


目と鼻の先と言っていいだろう。大雨でもないかぎり傘もいらない場所なのだから。


パニック持ちの私の最終チャンスではないか?なんといってもここで「ああでもないこうでもない」と難癖をつけるのは、「バスや電車で通勤する自信がない」といういつもの「働けない言い訳」が通用しない。実は年末に会った友達にその張り紙のことを話したことろ、「私だったら、近すぎでいやだなあ」という彼女の正直な言葉を聞いた。それはそうだろう。私だって元気なころは、あまりに近すぎる場所が職場だったらいやだなあと思っていた。もしコンビニでバイトするとしたら…きっと一番近くで一番利用するコンビニでは働かない。それは、内部事情やバイトの人間関係を知りすぎてしまったり、苦手な人ができてしまった場合のその後の行き難さを避けたいからだ。ご近所は平穏をキープしておきたい。そんな心理がある。


でもそんなことは言っていられない。そこまで切羽詰っているのだ。そのうち元気になって働けるようになるだろうと思っているうちに12年。干支がひと回りしているのだ。それに年令もひきこもりとしてはもう、立派な高齢なのだ。実におばさんなのだ。


年が明けてお正月も終わった頃、まだ張り紙があることを確認して、スーパーの敷地内で証明写真をとり、気持ちが「後でにしよう」にならないように家に帰らずそのままファーストフード店にはいり、履歴書を記入した。そして再び張り紙の前に立ち、ケータイから書かれている電話番号にかけた。履歴書を渡し、面接にとりつけた。


面接をしているうち、なんともポンコツな私の履歴書の説明をするために、実はパニック障害を患っていることをカミングアウトした。あまり病名のことを知らないようだった。「お通夜みたいな雰囲気で働いてもらわれても困るんだけど」とは言われたけれど。


「とりあえず、1ヶ月、試用期間にしましょう。その間、あなたが向いてないなあと思ったら辞めてもいいし、こちらからうーんということであれば(クビになっても)恨みっこなしで」みたいなことで、次の日から働き始めることになった。


この急展開。年末から(いや1年中か)自分の行く末や両親のこと、ありていに言えばお金の問題。生きていればどんどん増えていく年令。自分の社会性の欠如もどんどんひどくなり、随分前から人の目を見るのがつらいし、TVなどの一方的な会話をぼんやり見ているように、人から話しかけられても返事をすることを忘れたりする自分。本当に10年過ぎたら社会復帰は無理なのか。ぐるぐる、ぐるぐる。働かなくちゃ。でも職場で具合悪くなって信用されなくなったり、不審者を見るような目で見られたりするのはつらい、というか、さらに精神的に転落する可能性が、とてもとても怖い。


そんなループから抜けられなかった私が、あっけなく仕事をみつけた。きっと駄目だろうと履歴書を3パック購入したが、残りは使わず引き出しにしまえた。事実は小説より奇なり。


職場は、TVの散歩番組などで見ていたようなこじんまりした町工場。従業員は皆女性で少人数。年令は同世代で半分は未婚、しかも今まで遭遇してきたようなピリピリした雰囲気ではなく穏やかで優しい人ばかりだ。主に仕事を教えてくれる先輩は、私と対極な雰囲気ではあっても姉御肌で感謝している。時々私の鈍くささにイライラしているのを感じる時があるが、それは彼女が問題じゃなく私がドンくさいからなのだ。


私は仕事中心の生活に変えた。鉄剤もビタミン剤もすがるように飲んだ。朝、体調が戻っていると「やった!」と思った。嬉しいことに、仕事を始めてから絶えず疲労感はあるものの、パニックそのものの症状がでていなかった。恐れていた、仕事中に具合が悪くなることもなかった。一度ダンボールの上げ下ろしで血が下がってしまい立ち上がれなくて5分くらいしゃがんだくらいだ。


1ヶ月近く経っても、求人の貼り紙は、まだ張られていた。


そして、ある日、可愛らしい主婦の新人さんが入ってきた。


朝礼で「●●さん(私)も、ついに先輩だよ」と経営者は言った。


そして、「試用期間のことだけど、○日までに変えたから」。そう、新しい人と同じ試用期間になったのだ。


ここでモンダイなのだが、この試用期間というのは時給のモンダイではなく(よくある3ヶ月間は試用期間時給などではない)、『辞めても解雇してもいい』という期間であって、私のほうから辞めたいの一言もいっていないということは、会社側から解雇してもいいという期間が延長されたということなのだ。どっちみち、試用期間というのは、一般的に3ヶ月というところが多いので、むしろ短くていい、ということでも、いや、なんとなく腑に落ちない気持ちになるのであった。

2016 

あけまして おめでとうございます



年末年始、なぜかブルーモードにはいってしまい、大晦日にお風呂に入って身体の汚れを落とし(たつもり)ても、気持ちの汚れは昨年のままドヨーンとして、新年2日めを迎えております。

元日はTVで富士山のご来光を拝み、自宅から初日の出を拝み、午後は外出して、みなとみらいは雲ひとつない晴天。海も澄んでいました。こんなにきれいな自然のものを見ても、綺麗だと思っても気持ちがいまひとつ晴れない。

もっと元気な内容にしたかったけれど、口にすることもできず、ここに書いてしまった。


今までずっと『守』でいたから、今年は『攻』でいこう!と気合が入りすぎたのでしょうか?
思っただけで疲れきってしまったのでしょうか。眠い。ひたすら眠いです。何も考えず横になっていたい。


こんな新年からドヨーン内容ですが、
今年もよろしくお願いいたします(うーん、お願いしたくないよねえ)

ニットはニットだけど

さて、2015年、新しいことを始めたといえば、
母と一緒にニット生地を縫う教室に通っています。

ニット=編み物ですが、こちらは伸縮性のある生地をロックミシンで縫うほうです。

編み物のほうは、今年検定3級受けて、なんとか合格しました。

毛糸を編むニットの精進を地味に励んでいたところ、ひょんなことから、
違う方向へ向かってしまうなんて、ジンセーって面白いですな。

これからだんだん難しくなるだろうものの、
これがかなり面白いです。失敗も沢山したけど。

歩いていても、TVを観ても、雑誌を見ても、
「うむ、これはニット地だね」などと、服の見方が変わってきて、
自前のTシャツやカットソー素材の服は、ひっくり返して
「こうなっているのか」と研究(大げさ)しています。

来年の夏ごろには、1年間のコースが終わるので、
その先は、細々と課題のないニット服を作成するコースを続け、
就職してお金を貯めて(貯まるのか!?てか、就職できるのか!?)
講師資格が取得できるコースに行きたいなあ、と。

しかし。わたし仮になんとか就職できたとしても、
今度は教室に通う体力がないという問題にぶちあたりそうです。
そのコースは期間が限定されていて、
いまのコースの倍のアイテムを縫わないといけないので、
仮にアルバイトでも、休みの日には全て朝から夕方までミシンを踏んでるみたいな、
超ハードなありえない日々をこなさないといけません。無理です。


しかも、このコース、結構お金がかかるのです。
出来上がった服は全部自分のものになるので(ただし好みは度外視)、
他の習い事に比べれば、手元にブツが残る、けれど。
日々の生活以外にこれ以上親に迷惑はかけられないです。


ただ、隣駅のちょうどよい距離にある教室で、週4日くらいそこで過ごすというのは、
自分にとっては、すごくいいリハビリになると思うんだけど、甘いよね。
では、3日アルバイトすればいいんじゃない?でも、今でも教室に通った後はぐったり。
次の日も何もできず、抜け殻みたいに動けないなんて毎度のことなので、大丈夫かなと心配。


正直宝くじでも当たったら、間違いなく来年はニット生地との格闘を選ぶけれど、
甘い甘い。今では宝くじ代3000円が惜しい生活だしなあ。
講師資格が、っていっても確実に講師の職に就けるわけでもないし。

まずは、働く。働くことが先ですな。

うん、アタマの中が整理できてきた。
ちょっとスッキリ。

ひっそりと、細々と

お久しぶりです。

お久しぶり、HatenaBlogの画面(と、ディスプレイをなでたり)。

自分のブログをのぞけば、今年1月7日で終わっている。

もう今年も終わりではないか!

などと驚くのがしらじらしい、何年もそんな状態のこのブログ。

もう止めてもいいんじゃないかと思うのですが、
そういう思いがあればこそ、なんか書いてみたくなる天邪鬼っぷり。



長年の閉鎖的な生活から、人との会話が苦手になってしまったうえに、
パソコンに向かってさえ、キーボードで打っては消しての繰り返し。
ツイッターも読んではいても、書くことができなくなっていて。


ひっそりと、細々と。
リハビリ開始です。

(…って、このまま1年空白になったりして。そんな自分を容易に想像してしまう私であった)