続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

探していた『答え』はないのかも

いろんなことに迷ったときに、
「欄外にヒントが載っている問題集みたいに、どこかにヒントが小さくありはしまいか?」
「別冊解答集があったらなあ」
と、学生時代が懐かしくなったりする。生きてるうえで解かなきゃならない問題は、そんな親切な設定がない。


と、ずーっと思っていた。つい最近まで。


とくにこんなワタクシのような生活を送っていると、どこで間違えたんだろう。何を間違えたからこんな風になってしまったのだろうか。引き返す地点はどの辺だろうと、寝しなにもんもんと考えたりしてしまう。


なんのことはない、このごろ夜の寝つきが悪いのだ。過眠のワタシは電気を消して横になった数分後には記憶がないといった、バタンキュー生活をずいぶん長く続けてきたのに、暑くなってきてから寝つきが悪くなってきて、ついにエアコン生活になってもそれは続いている。電気を消した暗い部屋で寝返りをゴロゴロ打ちながら3時すぎまで、とか(それで一度は5時台には起きるのだから、お昼寝はお許しいただきたい)。過眠家にはあるまじき寝つきなのだ。


ただ、その暗闇での寝返りをしているときに考えた。


学生時代のどの科の勉強も、点を取るためには、問いに対してたった一つの正解を出さなければならなくて、それが苦しくもつらいものであった。でも、答えがひとつということですっきりと潔くもあったのだ。


だけど、生きてるうえでの問題は、たった一つの答えなんてそもそも最初からなかったのではないか。答えっていうより結果でしかない。人間がいれば人間の数だけ違った結果がでても不思議はなくて、その結果は合ってるところも間違っているところもマーブル状になってガッチリと離せなくなっているんではないのか。


どっちみち、今の状況が『答え』ではなくて『結果』であっても、うなだれるような現実なのではあるけど、たったひとつの答えを探すより、結果に応じて動くしかないと思ったほうが、ほんの少し気持ちが楽になる。あー40半ばにしてやっと分かったよ。


寝苦しい夜はつらいけれど、このことに気づいてよかった。でも今日はなるべく早く眠りに落ちたいもんです。眠れないと次の日の倦怠感が半端でない。不眠の方のお気持ち、お察しします。