続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

「ワタシを嫌いな人が、嫌い」という人の不思議

どんな人が嫌い?という話題になる時は結構ある。


そこには
「私のことをキライなひとは、キライ」
という人が必ずいる。


ふうーんと半分納得して、半分どうしてもわからない。


人の好き嫌いの判断が、相手が自分を好きか嫌いかだけで分けてしまう人は、さびしがりやなんだろうか。相手の個性に対するシンパシーや尊敬や愛らしさにたいする愛情とか、二の次なんだろうか。でも案外そういう動物的カンに近いもので生きている人のほうが、幸せそうにみえる。


私には絶対無理なような気がする。時にはあんまりよく思われていないだろう人も好きになる。反対に、いくら好意をもって接してくれても苦手な人は苦手だ(あまりいないが)。そしていつも誰に対しても片思いのような淋しさにボンヤリしたりする。


現実の身近にいる人ももちろんそうだけど、たとえばアーティストだったり作家だったり、私の好きな人たちは、きっと私のようなキャラクターは嫌いだなと作品を通して思うことが多い。ちょっと淋しい気持ちになるときもある。それがわかっていても、好きなのは変わらず、相手に気づかれず作品を堪能できるので内心ほっとしている。