続・猫に腕まくら

ぶっこわれています

後悔先に立たず

猫のゆうの寝息が漫画みたいにガーゴーガビガビ激しくなったのはいつの頃からだろう。去年からだと思う。

 

何か食べた後、しきりに口の中を気にし前足でかっちゃくのは、きっとグラついた歯があってそれが抜けそうなのかと勝手に思い込んでいた。

 

去年の暮れからやたら咳き込んだり、むせて苦しんでいるのは何故なのだろう。ゆうは双子のまーに比べて鼻水や目やにを滅多に出さない。熱はないのに鼻水や目やにが長く続くのはなぜ。

 

そして、食欲がなくなり足腰から痩せて背中がゴリゴリになった。

 

ゆうは、2014年8歳の時に悪性リンパ腫の消化器型と診断されて、予定より早く緊急に腸の手術をした。手術直後に獣医師から「今はなんとも言えない、二週間後に無事に抜糸出来てやっとこの手術は成功したといえる」と言われ、覚悟をした。もし残り少ない日々ならば、がん治療の意味もわからず苦しませるより、いつも通りの生活の中で逝かせてやりたいと伝えて、獣医師もその方が良い、今後の下痢や嘔吐に注意してこのままいきましょうとのことだった。

 

ところがゆうちゃんは、その後下痢することもなく、メキメキ食欲が回復し元気に今まで通りの生活ができるようになった。落ちた体重も戻りまたデカイ猫に戻った。

 

それから6年。去年の中頃からゆうの声が以前より小さくなったというか、力がなくなってきた。それから掠れて、今年に入ってとうとう口はニャーの動きはするけど声も出ない。

 

年齢的なこともあるしな、今年で15歳。何より下痢も便秘もしていない。ゆうは消化器型のリンパ腫なのだからそれが悪化しているようには思えない。病院に連れて行ってもおそらく何かしらあったとしても手術はできない年齢になってきている。通院のストレスを考えると、かえって寿命を縮めてしまうのでは、と私の気持ちは揺れてしまっていた。

 

ところが今日、思い切って検索してみたところ、猫の悪性リンパ腫には何種類もあって、中に副鼻腔にリンパ腫が出来るというのがあった。これかもしれない。消化器型ばかり気にしていたけれど、副鼻腔の症状があまりにも合致している。

 

あの、騒々しいイビキをかきはじめた時点で病院に行けば何かしらのケアができたかもしれない。食欲も体力もしっかりあった頃ならば。と、後悔先に立たず。悔やんでも悔やみきれない。

 

仕事に行ける回数が増えれば、動物病院に連れて行ける日が限られてしまう。連れて行く時間があったとしても、私は休みの日に何もせず寝てしまう日が月に数日もある。父の病気や入院退院再入院と状況が変わるなかで、気分的にくたびれてしまい後回しにしていた。私はいつもこう。ごめん。

 

 

 

簡潔にと思ったのに

さて、この空白の間に何があったのでしょう。

とあることがきっかけで劇的に人生も生活も変わりました。それは後々。

 

◇まず現在の私とその環境◇

 

・やっと昨年の夏から1日7時間週5回のパートを沢山の失敗をしながらも続けています。3連勤後はヨボヨボです。

・しかしながら、このパートのお給料だけでは近い将来ひとりでは暮らしてゆけなくなる現実に直面中。

・クリニック併設のカウンセリングにI年以上通ってます。すごく支えになってます。

・父はちょうど2018年に大腸癌が発覚し手術。その後前立腺癌もみつかり、自宅療養のホルモン治療に。そして2年後の2020年の年末に突如黄疸がでて入院。胆管に癌ができていて手術は不可能。どれも転移ではないらしい。

2022年の(次の)お正月を迎えられるかどうかは「そういうこともあるかもしれない(主治医談)」という話に、最後のお正月になるかもしれないと年末に退院したものの、年明けに発熱。そして再入院中。

・母は元気。しかし病人を看護中の人が先に参ってしまうパターンを何度か見聞きしているので、安心はできない。本人には言えないが、やはり老いた。

・引っ越しをひかえています。これは避けられない現実で7月の上旬までには今居る場所を離れなければならない約束。とても悩ましい。

・猫のゆうちゃん今年15才。7年前に見つかった悪性リンパ腫と共に過ごしてきたけれど、今は食も細くなり声も出ないで寝てばかり。それでも毎日ゆうは可愛いと思っている。

・猫のアンドレ(仮)は長毛種なのに、お腹から脚にかけて舐めてしまってぐるっとハゲに。プードルみたいな脚にアンドレ(仮)の強いストレスを感じて私もつらい。

ひっそりと、こっそりと

カチャ(ドアノブを回す)

スィー(ドアを押して部屋に)

おおー!

散らかったまま

時が止まったまま

置き去りにされた私の心の部屋

ここにまた

ひっそりと、こっそりと帰ってまいりました……

 

・・・・・・・

3年半もの前の話になりますが……。

2017年6月2日にコメントを下さった けめさん。

ずっとここから遠ざかっていたので、ほんの数時間前に初めて承認待ちのコメントを知りました。本当にごめんなさい。はてなIDの方ではないので連絡の取りようもなく申し訳ない思いでいっぱいです。

コメントありがとうございました。嬉しかったです。3年半も放置してごめんなさい。

 

 

 

 

 

ふー、星になる

思えば春先の沈丁花の香りも、全く気づかずに。

そして桜が散る今日、ふーが逝ってからひと月過ぎたんだなあという感慨をもって、重い筆ならぬ重いPCを開けて(最近スマホばかりだったので)書いています。

ふーは虹の橋を渡り星になりました。
3月14日。朝6時半くらい。
初夏には18歳になるところでした。

低血糖で亡くなるのを恐れて、そればかり気にかけていたものの、
最期はどちらかというと、排泄のケアがうまくいっていなかったことが命を縮めたんじゃないかなという後悔があります。1ヶ月くらい壮絶でした。

ふーはもともと人の布団に入ってくるようなコではなかったので、
最後の夜は私の布団の横に敷物を敷いて寝かせて、手を握って過ごしました。

突然しんでしまったナルに比べて、ふーは闘病が長かったぶん覚悟はできていたというのに、
こうやって書いてるだけでまた涙がでてくるのは、逝って欲しくない気持ちと、介護疲れからくる気持ちがごちゃ混ぜになって、申し訳なさが他の猫達を見送ったときより大きいから。

ふーは最期まで本当によく頑張りました。生きることに真摯な猫でした。

ふーが亡くなって数日後、夢に出てきた姿は、病気になる前の若い頃のつやのいい白黒柄の綺麗な目をしたふーでした。それが私の願望から夢につながったとしても、ふーからの贈り物です。

コレを書きながら鼻水をたらしているけれど、普段は平常運転になっているので、ご心配なく。

1月も半ばですが

すっかりここから遠ざかっていました。

もはや新年の挨拶の言葉が浮いてしまうような時期になってしまいましたが、
今年もよろしくお願いします。

さて、私の仕事の件ですが、
今も働いています。

なぜか年末あたりに突然更新制の話がなくなり、
更新をせずに働くことが出来るようになりました。

まだ若干シャチョーの心の中は揺れているんじゃないかな…?と推測しつつ、
いかんせん人の心の中は、本当のところわからないので、これ以上考えても無駄なんだと思います。


私はやはりシャチョーの言葉や態度に内心ビクビクする癖はなくなっていなく、感情を悟られないよう、能面顔になってしまいます。

ほかの人のように、ざっくばらんに話すには、そうとう時間がかかるかあるいは永遠にこないかもしれません。

というのも、人の心はわかりませんといいつつも、どうもシャチョーはチヤホヤされたい、褒められたい、ヨイショされたいという願望が強い人のようなので、「シャチョォー、シャチョォー」と懐にはいる心積もりでこちらから頼り歩み寄れば、もしかしたらこの緊張感を払拭できる可能性はあるかも…です。

しかし、私はもともとそういうのが苦手で、しかもまだ精神的に余裕がなく冗談もいえない状態なので無理。さらに、かまってちゃんには構いたくないという反発心が少なからずあるので、永遠に平行線なかみ合わない人間関係なんだろうなあ、と腹をくくりました。


今年は、今の仕事を継続しつつ、単発のバイトができるようになりたい。
週に5日働ける体力が欲しいので(今のところ週3でも帰宅後動けず寝っぱなし日が必ずある)
少しずつ仕事を増やしていきたいです。


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猫達は皆、それぞれの体調なりに元気に新しい年をむかえました。

風太は糖尿病を発症して今年で9年目。だいぶ背中ゴリゴリのおじいさん猫になりトイレの失敗も増えたけれど、頑張って自力で猫生を歩んでいます。

ゆうは、悪性リンパ種で手術してから2月で丸2年になり、言葉が話せればあちらこちらの苦痛を訴えるのではないかと案じつつも、普通にご飯を食べ、ウン○をし、日向ぼっこをし、ときにワガママ猫を発揮したりして、ほかの猫より寝ている時間は多いけど、手術前と変わらない普通の生活をしています。

これは、カミサマにも猫達にも感謝感謝の何よりも素晴らしい日々ではないでしょうか。
私の苦しみなど、この子たちの背負っているものに比べれば、たいしたことない。
猫達からもらっている形のない贈り物は、私の人生の宝だなあ。

猫達のためには、私はもっとしっかりしなくては。

私は生きたいのか

診察日であった。

先生「『かかりつけ医』って決めていますか?」
ワタシ「いえ。ここしかないです(もはや精神科がかかりつけ医)」
先生「そうかー。じゃ、なんの検査もやってない?」
ワタシ「はい」
先生「うーん。やっておいた方がいいよー。区のお知らせとかでもあるでしょ。健康診断」
ワタシ「はい封書で届いています。いやー悪いところが見つかると困るんで」
先生「なんで。治せるものは治さないと」
ワタシ「……」
先生「長生きしたくない?」
ワタシ「はいっ(きっぱり)」

そこで話は終わった。 

まさか「長生きがリスクな人生なんで」とか言わないし、ましてや「本来は薬を長期投与しているのなら、ここで血液検査くらいしたほうがいいんじゃないですか?最初で最後にここで血液検査したの20年くらい前ですよね。あの時は普段いない看護師さんがやってくれたけど、先生、もしや注射できないんですか?」と喧嘩を売ったわけではないし。きしねんりょがあると思うほど深刻には話してないから、危険ともとられないだろう。

ただ、ただ、
それから、気分がすぐれないのだ。
なんだか泣きたくなる。
大泣きはしなくとも、涙目で鼻がツンとする。

私は神様(ただし無宗教)がthe endと判定するまで、ボロボロのグダグダでも生きていようとは思っている。でもこの先、私はきっと社会のお荷物になる。

私は、生きたくないのか
本当は生きたいのか
しんでるように生きているのはつらい
しんでいるように生きなければ、
生きてるように生きることができるのか

どうなるのかな

9月に、ついに一度、貧血をおこして早退しました。

あーあ。やってしまった。
これはちょうど最後の正社員の頃から始まった13年来の不調です。
下痢+貧血+頭痛+気持悪さが一番キツイ状態で、
その時によって下痢+頭痛や下痢+貧血のセットだったり。

私はほとんど立ったまま作業をするのに、
トイレから戻った後、貧血でとても立ってられなかった。
30分くらいしたら回復すると思ったけど、
うながされるまま家に戻ってきてしまいました。
無遅刻無早退無欠勤、終わりました。よよよー。

相変わらず、シャチョーとはうまくいっていません。
先日(10月某日)、事務所の入り口で話をし、
終わったので扉を閉めたとたん、
多分ですが、おそらくですが、物を壁に投げつけるような激しい音がしました。

以前は、ワタシが背を向けたとたん、
実際には叩かなくとも叩こうとする仕草をしているのを
気づいてない振りをしても見逃しませんでした。

いつも私が悪いんです。
へんにおどおどビクビクしたり、視線が合わせられなかったり、
どっちつかずな態度をとってイライラさせてしまう。

これって中学の時の部活と同じだなあ。
成長していない。
先輩から目をつけられてしまい、「あの子ムカつく」カテゴリーの後輩として
認定されてしまうと、緊張からなぜか先輩が激高するような仕草や、言い間違いや、
沢山の失敗を今まで以上にしてしまうようになり、抜け出せないどつぼループ。
今、シャチョーと同じことになっています。

自分で言うのも何ですが、
心を激しく消耗したものの、接客業のクレーム処理はわりとコツを覚えて、
客の怒り爆発暴言の嵐でも自分を保つバランスみたいなものを会得したと思っているのですが、
こういう、中学の先輩やシャチョーみたいな「アンタキライヤメテホシイ」を滲ませる相手には
自分を保つどころか、台風に吹かれてぐるんぐるん回っている忘れられた洗濯物みたいになってしまう。人間修行が足りませんな。

しかも。しかも。
結局いままで会社の人間関係でギクシャクしてしまうのは、
「ワタシ嫌われてますよね」っていう感情に振り回されてるから。
だいたい万人に受ける人間ではないし、職場において誰が誰をイヤだと思おうが自由であるし、自分だって好き嫌いが激しいし、考えても仕方のないことなのに。
これは、今回私が生まれてきたときに与えられた課題なのかもしれないな。


なんだかいろいろとごめんなさい。
と、
出会った全ての人に謝ってしまいたい気分。